20240304

 

前の投稿が割と色んな方々の目に入ったらしく。近しい友人先輩後輩から、自分達の音楽に触れた事がない人たちまで、幅広くリアクションがあった印象である。共感を抱いた表しとして、ひとつのテーゼとして、あの投稿を拡散してくれる方々がいたり、ひっそりと感想を伝えてくれる方々がいたり、そろそろ発売される新作についてのインタビューに応えていく中で、あの投稿についても掘り下げてくれる記者の方もいた。

 

結局サブスクを開始してみて1ヶ月程度で感じた事は「CDってやっぱええな!」という実感と「配信もええやん」という、まぁ遂行する前からある程度予想できた範疇の感想ではある。しかし、何よりその予想が「いち個人的な的外れな予想」のまま、いつまでたっても証明されずに空中をさまようのは避けたかった。なら自分のバンドを介して自分に体験させるという、時間をかけてでも他の誰にも立証できない確固たる手段を取るしかなかった。よそのバンドの体験談はよそのバンドの体験談であり、その主語が自分になる事はない以上こうして自分たちで着実に確かめていく他ない。という、核心のような、開き直りのような。まぁそんなとこである。ひっそりとした証明に、とても多くの時間を費やした気がする。ふー。

 

結果として、正しかった・間違っていたではなく、きちんと確かめる事ができたという、けれども「なんとなく」なこの感覚が、また自分や自分のバンドを強かにしたのではないかと思う。言っても、得たものはこの「なんとなく」な実感だけで、それを適切な言葉で説明出来る訳でもない。アバウトな実感もたまには身体に良いんじゃないだろうか、という事にしておく。4月から始まるツアーや、その先の未来からもまだまだ得ていく反響や実感があると思う。この予想に関しては、自分や自分たちを信じる他ないのだけれど。色とりどりの礫を集めて、何かが前に進んで行くのである。多分。

 

もうすぐ発売するらしい。4枚目のアルバムが。それってどんな未来で、どんな形をしているんだい、という話で。

 

COEXIST

 

過去にCDリリースした『前線に告ぐ』『遅くなる帰還』『THREE』のアルバム3作品をサブスクリプション(配信)でもリリースする事にしました。2/7から随時リリース致します。各アルバムの配信に1週間の間隔をあけていますので、時系列をなぞったり、来たる翌週を心待ちにしたりして頂ければと思います。

1作1作に宿っていたエネルギーを噛み締めて頂いているうちに、3/6には4th ALBUM『SUNG LEGACY』がCDリリースになります。それらの流れの最後であり、これからの始まりに位置します。是非CDショップ店頭や通販、我々の物販などで直接CDを手に取って頂けると幸いです。発売日からの同時配信は一旦ありません。実に7年半ぶりとなる、フルサイズのアルバムに仕上がっております。4月からツアーも決行する予定ですので、是非そちらも。

ここから先は配信開始に至った経緯というか、つまるところ自分の頭の中の話になります。書き留めておいた方が良いと思ったので、一旦書いてみます。

 

作品リリースは全てCDや会場販売のDVDのみで11年ほど活動してきました。そういうマニフェストだったというよりは、興味のない事はとりあえずやらないというスタンスだっただけと言うか、取り組もうとしてきた事にはふさわしい理由を探してきたと説明するが正しいです。故に、主にCDでしかさよならポエジーの作品に触れられない事は「時代的に不都合」なのか、それとも単に「バンドの特色のひとつ」なのか、それをどのように捉えるかは自分たち以外の方々だったかと思います。不都合だと深く自覚した事も、それが特色だと明言した事も特になかったかと。

単に、作品を作るならCDを用意して売りたかったし、配信という手段は常々「自分たちにはあまり関係のない話だった」というところです。当然、所属レーベルから配信を差し止められていた訳でもありません。自分たちの活動は自分たちの自我をメインマストとして尊重され、有り難く今日までその航海を続けることが出来ています。


結論から言うと「サブスクを開始しよう」と方方に提案したのは自分で、理由は「それも良い」と感じ始めたからです。

サブスクに自分たちの音楽が存在しない事を危機的に感じた訳でもなく、今の直接的な活動に限界を悟った訳でもありません。配信を所望される方々の声を耳にしたり、自分の中でも諸々を考えた結果、あらゆる懸念点や心配事を上回って「それも良いな」という動機に変わった瞬間が遂に来た、というだけです。

 

そしてサブスクでのリリースを決定させた今でも、サブスクに対する個人的な懸念点は払拭出来ていなかったりします。そうなんです。

個人的には、サービスを利用する上でのプライスは安過ぎると感じているし、故に音楽そのものが不自然にディスカウントされているようなネガティブな感覚はジトジトと感じています。冷や汗のようなものです。

アルバム一枚すら買えない金額で、何千何万何億という音楽にアクセス出来ているというこの感覚に、改めて違和感を覚える人が今の世の中にどれくらいいるのだろう?と考える事が少なくないです。

音楽を作る・受け取るという行動やその仕組みへの価値が、こういった利便性の高いサービスや手段の幅広い普及によって『音楽って思っているより安いものだよね』という印象を段々と打破出来なくなっているように感じます。そういった脆弱さに対して、漠然とした不安を抱かずにはいられないという話です。

そしてそんな異論を自分1人が唱えたとて、誰にもそれが異論だという印象すら与えられないままこの時代は直進しています。まぁでも仕方ない。とほほ、くらい。本当に別に誰も何も悪くないはず。


しかし配信ばかりが消費され直売するCDが売れなくなると、経済的な難はどこかでどうしても生じるものです。自分たちが音楽を狂信的にプライスレスで配り続ける慈善団体ではない以上、お金の事もうまくやりくりして行かなくてはいけません。自分たちのような規模感で音楽を続けるとなると。

目指している作品を作り上げる為には、自分たちが持ちえない環境や設備・そのノウハウを持った専門職の方々の協力を得る必要などがあり、まずはそこに対価を支払う事からのスタートになります。チンクルホイの魔法で作品がポンっと出来上がる訳でも、誰かがボランティアでそれらを無償で貸し出してくれる訳でもないからです。

CDの価値というのは、物の価値であり、こだわりの価値であり、音楽の価値であり、その仕組みへの価値です。形として残り続けるというロマンや、ならではの特色や魅力を宿しているのと同時に「諸々への対価」に相当するような値札をきちんと正面からラベリングしています。不自然に強調するでも、いやらしく隠している訳でもありません。少なくともさよならポエジーの作品はそうです。『前線に告ぐ』は¥2000、『遅くなる帰還』は¥1700、『THREE』は¥1400。『SUNG LEGACY』は¥2400。どうですか?また、どうでしたか?

それらが様々な場所や方々に直接届いていく体験はとてもかけがえがなく、とても豊かな瞬間です。お金の話をした後でこう言うとアレかもしれませんが、これはお金の事だけではありません。困難を乗り越え生まれた作品が届いた喜び、それに対価を支払ってくれる方々がいるんだという喜び。目の前にいなくても、そういう人がどこかで生きているんだと想像できる喜び。そういった体温を宿して、自分たちの心に深く深く刻まれています。

CDを手に取り、さよならポエジーの音楽を日々楽しんでくれている方々には感謝してもしきれません。ただ音楽がやりたいんだ、というある種盲目的な生き方をしてきた自分たちに沢山の喜びをありがとうございます。もし気が合いましたら、これからも何卒宜しくお願い致します。


とはいえ、ここ数年で自分もサブスクを用いて音楽を聴く事が日常化しています。作品にアクセスできるスピード感や、どこにいても再生出来る手軽さをこの両手で体感しています。「…にしてもおぞましい程に安過ぎるサービスだ」という自分の戯言を除けば、手段というよりはとても巨大なタイムマシンに日々触れている気分です。

盤として手に入れていない作品を聴いたり、買ったは良いがどこに片付けたのか忘れてしまった昔の作品にふと再会したりしたりして、このタイムマシンの恩恵を日々実感しています。


そうした日々の中で「自分たちの音楽がサブスクにあったらどうなるだろう?」と考え始めるには、やはりそう時間はかかりませんでした。抱いていた懸念点や異論が脳内で並走しているものの「ここに自分たちの音楽があっても良いんじゃなかろうか?」という感覚は日を増して覚えてきました。抱えていた難問の答えは、こうして日々変わりゆく自分の生活の中にあったという事になります。

そうして、ごく自然な結論として「配信もやってみよう」という答えが自分の口から出てきたという事になります。色んな課題を不用心にパスしている気がするが、やってみるぞ俺、というヤツです。


ひとまず先に過去作品が配信となりますが、これだけはお伝えしたく。様々な時間軸の中で皆さんが対価を支払って手に取ってきたそれらの価値や思い出や時間や体験は決して消えません。手のひらの上で、頭の中で、引き出しの奥で、どこかのライブハウスやいつかのCDショップの中で、その輪郭は形を変えません。

CDだけを売り続けていた自分たちの手段が「時代的に不都合」だったのか、それも「バンドの特色のひとつ」だったのか、どう捉えられていたかは今でもわかりませんが、そんな印象や垣根を超えて作品を直接手に取って頂いた皆さまのおかげで、今日もおそらく明日も、さよならポエジーが続いてきたし続いていくだろうと断言致します。


今更ながら、CDと配信において双方には双方で異なった体験と価値があり、決してイコールで結ばれる事はありません。力説したところで野暮であり、何よりこれは皆さんの直接的な体験であり、皆さんの想像力を信じています。

「豊かさ」とは単に「不都合らしきもの」を順番に取り除いていく事ではなく、個人が何を選択して何を体験していくかの結晶だと、その別名だと、自分は思っています。その形は様々です。もちろん対価だけが全てを物語るなどと偉そうに思っている訳でもありません。時に、それは交わした手と手のようなものです。

「サブスクがあるならCDなんて買わなければ良かった」という一定数散見されるご意見に関してですが、「そもそも等しくないものを、どうか等しそうに捉えないでもらえたら」という自分の内心と言葉だけ、ささやかながらここに残しておきます。何かのヒントになれば幸いです。

 

そろそろ以上になります。「サブスクでさよならポエジーが聴けたら喜ぶ人もいるだろうな」と思ったのです。どうかその世迷言が、なるべく多くの人に憎まれる事なく、音楽の価値を不自然にディスカウントする事なく(してしまうのかもしれない)、損ない合うでもない共存に直結する何かを成し遂げられたら幸いです。今までサブスクに関して何度か唐突にSNSで発言する事がありましたが、今日のこの書き置きというか主張が一旦自分にとっての最新版となります。明日には違う事を考えていたりするかもしれませんが、これが今にとっての本当です。

とりあえず、やったことがないので、やってみます。


最後にはなりますが『SUNG LEGACY』は結構いい作品かもしれません。相変わらずこれしかできないんだな、というか、こういうバンドがまだこの時代に居たっていいだろうという感じです。そして制作過程で何度も自分の力不足ゆえの完成延期を重ねてしまったので(1年以上伸びてる)、その分作品は「売りたいな」というマニフェストが今の自分にはフツフツと。要は、色々やっても売れたいのではなく売りたいのです。まぁいつもの自業自得ですが。

 

ウルトラ長くなりましたが、そういう事です。相変わらず、何も諦めてはおりません。どうかこの英断に幸あれ。何かわからない事があれば、ナカシーに訊いてもらえると「…ん…そうらしいです」くらいは返してくれるかと思います。引き続き宜しくお願い致します。

 

20240101

 

前日の23時にタイムカードを押す。今年も年末年始は帰郷するでも誰かと呑み明かすでもなく、淡々と孤独に社会の歯車を担う事になった。時間が真っ直ぐと前へ流れていく中で、その濁流の中の「従業員A」として、朝までは誰かの時間軸にひっそりと登場するエキストラになる。三宮には生田神社という有名な神社があり、その影響で参拝者が街をごった返し、その賑わいを保ち続けたまま眠らない一夜になる。直視はしないが、なんとなくそのエネルギーを肌や耳で感じながら朝になる。

 

2023年は20代最後の歳だった。その年輪の厚みを意識しなくてはと考えたり、受け止めなければいけない惜別があったりした。ここ数年、立場としてギターを握ってチロチロ歌っているだけではバンドが機能しないと痛感する瞬間が多く、誰かにバトンタッチした方が融通が効くであろうタスクも自分の時間と身体を使って担える部分は担うように努めた。1stアルバムの時期から自分たちを支えてくれていた担当マネージャーの卒業も重なり、彼女の立場や仕事の複雑さを日を増して痛感するのと同時に、自分の存在が「バンドの歯車」として、より多くの回転数を稼がないといけない状況だと悟った。所属レーベルに支えてもらいながらも、そもそもは「バンドメンバーで解決できる仕事はバンドメンバーで解決する」を念頭に活動してきたつもりだったが、それすらも裏方からの力添えありきのバランスで成り立っていた事が確かで、こうして今も非力ながら奮闘中である。

 

自分たちで諸々を耕していく豊かさと、担わなくてはいけない立場や仕事の大変さを。その形や重みを僅かながらなんとなくこの目で捉えたような年だった。客足の少ないタイミングを見計らっては、こうしてつらつらと日記を書き殴っている。公私ともに、結局自分は何かの歯車なんだと悟りながら。

 

2024年は今水面下で計画している事が順を追って形になっていく年になる、はず。今月中にMVを撮り終えなければいけなく、その段取りやスケジュールの都合も今日明日で仕留めなくてはいけない。年始早々仕事のやり取りを方々とするのは楽しくないし風情が無いが、眠らない仕事も世界にはごまんとあるのだ、と納得する他ない。いつか携帯を自宅の机の上に放置して目的のない休暇に出掛けたいが、もうそれが休暇になるのかもわからない。行方不明の発端を作るだけの時代を生きている。

 

ここらで休憩が回ってきたので、仮眠するとする。目が覚めてもここは職場で、歯車は歯車である。夢の中ではどうか勇敢に。アディオス。

 

20231111

 

私生活においての喉の違和感なんて大概はタバコの吸い過ぎで。飴や白湯でなんとなくほぐしているうちに、いつの間にかオサラバである。そう甘んじていたが故に、突然やって来た発熱と悪寒はなかなかに呪いじみていた。身体は鉛製、部屋では雪が降っているのかと錯覚しながら一口一口胃に流し込むレトルトの雑炊に、食事本来の楽しみはない。流動食ほど人のメンタルをさりげなく、そしてなんの悪意もなくひん曲げるものはない、という極論にも辿り着く。口にはそれなりの噛み応えと、肌には夏の猛々しさだけが欲しくなるような昨日だった。

 

噂のあれやこれはどれも陰性。病院で調べ終わる頃には体温も落ち着いていたが、一時的に案内された別患者とは隔たりのある部屋(のような場所)にいると、自分が病原菌そのもののように思えてきてどこか侘しい気持ちになった。結局は特別な病ではなかったから、帰り道は結構胸を張って歩いてみせたが、まだどこかしら本来の体調を取り戻せていないような気もした。立ち寄ったコンビニの全ての飲食物が不味そうに見えて「そうそう、たまにあるんだこういう時が」となんとなく納得した。

 

「仕方なく、こうして生きていく」という事を避けなくてはいけない。結構必死に。仕方のない物事に直面し続けなくてはいけない呪いほど、心身にとってキツいものはそう無い。誰に訊くでもない自問自答には限界が来る。そんな予感を、あとどれくらい信じれる?

 

味や彩りはさておき「流動食は流動食」である。例えば。

 

20231030

 

迎えるというよりはくぐり抜けてしまった。てっきりハードル走のようにひょいと走り飛び越えるものだと思っていたけれど、実の正体は巨大な「門」のような形で、ただ自分はその内側を無抵抗にすいーっと通過しただけだった。

「まぁこういうものか」と実感する。30歳を。その日は新宿でライブだったし、祝ってくれる人も大勢いた。「もうおじさんですよ」と方方に自虐したけれど「まだ若いよ」と返されるばかりだった。本当にそうなんだろうか。

 

ここ一年は自傷的というか、色々擦り減らす事を前提に、未来にその対価が自分を抱きしめてくれたら良いなという姿勢を選んだ。結局手に入るものがあるかはわからないし、全然捧げ足りなかったのかもしれない。1秒でも多くの未来に辿りつかないと、それはわからない。

そんなマニフェストもひと段落したと思っていたけれど、忘れていた頃に必然的な空白もやってきた。まぁ、まぁまぁ心は休む暇無しである。

日々は思ったより強烈で、恐ろしいくらいに静かである。無味無臭のおぞましさと暮らす。南無。

 

書き方も忘れた日記も少しずつ再開していく。自分がどんな日々を送っているか、気になる人だって世の中には何人かいるのだ。いや、どうなんだろうか。

仕事の休憩室で書く。朝より先に冬がやって来るかもしれない。

 

20220102

ヒロアキ君を迎えてRecしたアルバム「THREE」が2月にリリースされ、その熱をもう少し外に放つようにと挑戦した自キャリア初の大阪東京ワンマンライブ。情勢の風向きとは反り合うように各地へ遠征し尽くし、何が何日で、何曜日だったのか、あの日食った飯は?覚えていないくらい夢中で演奏した一年だった。

年末の自主企画も大熱狂(のはず)で完遂し、ヒロアキ君をさよならポエジーの正式メンバーとして迎えることになった。もうこの人しかいないのだから、この人が良いのだ。また柱が3本となり、自分たちは再スタートを切る。頼もしいチームに囲まれながら。

 

沢山の人に再会出来た一年だった。何も覆らなければ死ぬしかなかった裏方さんや、場所。何もないから働くしかなかった音楽家。きらりとハイエースから降りてきた友達。各地で顔を見せてくれたお客さん。「音楽は再会の為にある」となんとなく思っていたけれど、あながち間違いでは無くてホッとした。音楽は場所ではなく理由になることしか出来なかったが、充分その力強さを感じる事ができた。

今一度、自分たちに演奏出来る機会を、場所を、与えて・支えてくれた裏方(この名称全然好きじゃない)の皆さんありがとうございました。

 

相変わらず情勢の雲行きは怪しく、来場してくれるお客さんにはまだまだ無理を強いる部分が大きい。企画を運営する側や、イベントが行われる箱自体も、元気なんか何も取り戻していない(ように見える)。辟易は続いている。

 

今年から大規模なワクチン接種が行われた事で、ある程度気の緩まった風がライブハウスの中へ流れ込んで来ることがあるけれど、まだまだ繋がれた錠の重さは実感出来る距離にある。もうそろそろパーっと行きたいが、油断が出来ない。危なっかしい友達がそばにいるなら、一瞬肩をトントンとしてやって欲しい。

 

何となく揶揄され続けたライブハウスで、決して安くないソフトドリンクを沢山呑み込んでくれた人たち。自分がその1人になってはいけないと「私・僕は今のライブハウスに行かない」とあの日決断した人たち。そんな人たちが支えてきた未来が今ここにある。まだまだ安全圏では無いけれど、あの時、大きな重機が無感情に爪を入れなくて済んだ場所がきっと各地に沢山ある。入ることになった場所も。しかし音楽がまだ鳴っていたら、いつかまた遊びに行って欲しい。きっと賑やかに出迎えてくれるはず。

 

残り一筋になり、今にもちぎれてしまいそうな何かが、音楽やそれを取り巻くわずかな豊かさのエネルギーを帯びて耐え忍んでくれている。自分もその一端を担っている。2022も何か頑張らなければ、と歩き出す。上手くいくと良いんだけれど。

 

正月だって余裕でバイト。こうして俺も誰かの何かに。

20201201

街から人が消えた。マスクは顔も知らない誰かに買い占められた。手に入れたい人が店前で列を成し「在庫はございません」と店員が頭を下げた。上手に消化できない憤りや、心に留めておくには難しい不安が口から漏れ出し、それも例のアレみたいに人から人へ伝染していった。空が曇り、それぞれの町にいる音楽家たちの演奏は止まり、頻繁に繰り返していた再会の約束も無くなった。

 

2020年もあと1ヶ月になった。音楽は気付けばどこかのタイミングで再び慎重に鳴り始め、設けられた制限の中ではあるものの、その火の暖かさを少しずつ肌で感じられるようになった。誰かが必死に守り続けてくれた屋根の下で、みなで口元を隠し、そばにいるようでいない距離感を保ちながら、今ならではの「普通」を掴もうとしている。

 

その火が自分たち、自分たちの心からだを暖めるものである反面、今は一瞬にして関係性や建物ごとボヤにするような大きな炎を生み出すキッカケでもある。頭では分かっていることを口にしてみる。大きくなった炎に誰かが涙を落としたとて、巻き戻らない時間がある。と、頭では分かっていることを口にしてみる。誰に教わるでもなく、自分で考える。あれやこれを。

 

12月に差し掛かり、外はもう随分と冷え込む。不要不急の外出は危険だと囁かれている渦中で、僕たちは顧みずスタジオで曲作りに励み続けた2020年だった。結果論でしかないけれど、健康を保つことは出来ている。メンバーそれぞれがアレに対しての自己解釈・自制心を持ち寄りつつ、ライブが出来る場所・出来ない場所を取捨選択したりした。「結果健康でオーライならそれで良いのか?」と言われるとそうではない活動の仕方だったのかもしれないけれど、なるべく頭を使って考え・自制・活動するように努めた。揶揄されることは拒んだりしない。

 

運が良かっただけなのかもしれないし、勝算の無いものに賭けていたのかもしれない。そしてほぼ同時に、何かが欠けていたのかもしれない。2020年。黄色信号に足を止めず、闇雲に走り抜けたようでもあった。良くも悪くも、あの時アクセルを踏み込んだその未来に立っている。

 

明日になれば劇的に雲が晴れる、という訳でもない。良いことと言えば、作詞作曲ともに難航し、レコーディングを何日か延期することで完成した音源はプレス入稿前作業に入ろうとしている。

 

誰かの手に届いた時、いやもう少し手前の話、買い手はどんな風にそれを手にとってくれるだろうと想像する。あと少しだけ未来の話になるけれど、感想があれば、いつか口元すら隠さず聞かせて欲しい。

 

音楽は再会の為にある。違ったら申し訳ない。