20240101

 

前日の23時にタイムカードを押す。今年も年末年始は帰郷するでも誰かと呑み明かすでもなく、淡々と孤独に社会の歯車を担う事になった。時間が真っ直ぐと前へ流れていく中で、その濁流の中の「従業員A」として、朝までは誰かの時間軸にひっそりと登場するエキストラになる。三宮には生田神社という有名な神社があり、その影響で参拝者が街をごった返し、その賑わいを保ち続けたまま眠らない一夜になる。直視はしないが、なんとなくそのエネルギーを肌や耳で感じながら朝になる。

 

2023年は20代最後の歳だった。その年輪の厚みを意識しなくてはと考えたり、受け止めなければいけない惜別があったりした。ここ数年、立場としてギターを握ってチロチロ歌っているだけではバンドが機能しないと痛感する瞬間が多く、誰かにバトンタッチした方が融通が効くであろうタスクも自分の時間と身体を使って担える部分は担うように努めた。1stアルバムの時期から自分たちを支えてくれていた担当マネージャーの卒業も重なり、彼女の立場や仕事の複雑さを日を増して痛感するのと同時に、自分の存在が「バンドの歯車」として、より多くの回転数を稼がないといけない状況だと悟った。所属レーベルに支えてもらいながらも、そもそもは「バンドメンバーで解決できる仕事はバンドメンバーで解決する」を念頭に活動してきたつもりだったが、それすらも裏方からの力添えありきのバランスで成り立っていた事が確かで、こうして今も非力ながら奮闘中である。

 

自分たちで諸々を耕していく豊かさと、担わなくてはいけない立場や仕事の大変さを。その形や重みを僅かながらなんとなくこの目で捉えたような年だった。客足の少ないタイミングを見計らっては、こうしてつらつらと日記を書き殴っている。公私ともに、結局自分は何かの歯車なんだと悟りながら。

 

2024年は今水面下で計画している事が順を追って形になっていく年になる、はず。今月中にMVを撮り終えなければいけなく、その段取りやスケジュールの都合も今日明日で仕留めなくてはいけない。年始早々仕事のやり取りを方々とするのは楽しくないし風情が無いが、眠らない仕事も世界にはごまんとあるのだ、と納得する他ない。いつか携帯を自宅の机の上に放置して目的のない休暇に出掛けたいが、もうそれが休暇になるのかもわからない。行方不明の発端を作るだけの時代を生きている。

 

ここらで休憩が回ってきたので、仮眠するとする。目が覚めてもここは職場で、歯車は歯車である。夢の中ではどうか勇敢に。アディオス。